2016年03月27日
感謝祭
先日3月24日 弥生感謝祭が執り行われました。
大変多くの方々にご参列いただきました。

九頭竜大社は御発祥の11月24日に因み、毎月24日が祭典日です。
毎月24日のお祭の開始は午後2時からです。ただし、4月の春の大祭のみ正午の開始となります。

約30分で祭典は終了し、教主の挨拶。

教主挨拶の後には、ご参列の方々全員に、ご神酒と特別護符をお授けいたしました。
毎月24日の風景です。
大変多くの方々にご参列いただきました。

九頭竜大社は御発祥の11月24日に因み、毎月24日が祭典日です。
毎月24日のお祭の開始は午後2時からです。ただし、4月の春の大祭のみ正午の開始となります。

約30分で祭典は終了し、教主の挨拶。

教主挨拶の後には、ご参列の方々全員に、ご神酒と特別護符をお授けいたしました。
毎月24日の風景です。
2016年03月21日
「自然に帰れ」の教え
九頭竜大社の教えに「自然に帰れ」とあります。

人間にとって「自然」な姿とは、感謝の心を忘れず、我を張り過ぎず、道理の通らない無理なことはせず、明るく、穏やかに、他を思いやる、よい言葉を用いる、素直な心で前向きに励む、そのような姿です。
人の悪口を言う、愚痴を言う、自分と他人を比べて思い悩む、必要以上に心配する、今やるべきことから逃げる、起こってしまったことをいつまでも悔やむ、物事を悪いほうに悪いほうに考える、自分中心の考えで生きる、このようなことは自然に反する「不自然」な姿です。
諸々の自然に反する思いを捨て、自然に帰ってゆきましょう、というのが、九頭竜大社の教え「自然に帰れ」です。


自然に帰った姿で、素直に神様にお祈りする、そのような信仰生活を心掛けることにより『心の器づくり』はすすんでゆきます。
「心の器」が大きくなってゆくと、九頭竜弁財天大神様のお導きをより受けやすくなります。ますます幸いなほうに進んでゆかれることになります。
お参りをお待ち申し上げております。

人間にとって「自然」な姿とは、感謝の心を忘れず、我を張り過ぎず、道理の通らない無理なことはせず、明るく、穏やかに、他を思いやる、よい言葉を用いる、素直な心で前向きに励む、そのような姿です。
人の悪口を言う、愚痴を言う、自分と他人を比べて思い悩む、必要以上に心配する、今やるべきことから逃げる、起こってしまったことをいつまでも悔やむ、物事を悪いほうに悪いほうに考える、自分中心の考えで生きる、このようなことは自然に反する「不自然」な姿です。
諸々の自然に反する思いを捨て、自然に帰ってゆきましょう、というのが、九頭竜大社の教え「自然に帰れ」です。


自然に帰った姿で、素直に神様にお祈りする、そのような信仰生活を心掛けることにより『心の器づくり』はすすんでゆきます。
「心の器」が大きくなってゆくと、九頭竜弁財天大神様のお導きをより受けやすくなります。ますます幸いなほうに進んでゆかれることになります。
お参りをお待ち申し上げております。
2016年03月13日
瑞兆
先日、3月9日の朝、私のローソクにお姿が出ました。

お灯りをお供えしたローソクのロウが、竜の鱗の如く垂れることを「お姿が出る」といい、昭和29年の御発祥以来、瑞兆であると伝わります。
自分のローソクのことでこんな風に申し上げるのは何ですが、実に綺麗にお姿が出ています。
これは瑞兆。よい兆しに違いありません。
より一層社務に励んで参りたいと思います。
お参りをお待ち申し上げております。
2016年03月07日
あたたかいお導き
3月の九頭竜大社。
「おついたち」はまさかの雪でしたが、積もることはなく幸いでした。道も大丈夫で、多くの方々にお参りいただきました。
早朝は冷え込みますが、お昼になるとぽかぽかと暖かい日も多くなって参りました。
社務所にいるよりも、境内に出ていたほうが暖かで気持ちがいい・・・ そんな日も多いです。

境内のシダレウメも咲いてきました。
九頭竜大社の9回まわるお千度は、神様と向き合うと同時に、自分自身とも向き合う時間です。
日常をはなれ、心静かに、ゆっくりとお過ごしください。
九頭竜弁財天大神様は、私達を本当によくみていてくださる慈悲の女神さまです。
素直に、心静かにお祈りいただきますれば、神様からの何らかのお知らせに、必ずやお気づきいただけるのではないかと思います。
人を幸いに導こう、人を救おうという願いを持たれた慈悲の女神様なのです。
お参りをお待ち申し上げております。
2016年03月01日
開祖の描いた竜
新しい月、3月。
今日は「おついたち」ですので、多くの方々が月参りにお越しになりそうです。
さて、今回は「開祖の描いた竜」をご紹介します。

この「開祖が描いた竜」は絵馬にもなり、皆様方にお授けしています。(1枚 500円です)

霊感の鋭かった開祖の心眼には、このように映ったのでしょうね・・・
さて、開祖 大西正治朗は生前、昭和53年に、このように語っています。
『信仰はね、細長く、長く続かなければならないんですよね。ようかんを切った時みたいにね、一つ食べた、もうそれきりで終わりではなんにもならんですね。いつまでも細長く、甘い物は甘い物として続けていただきたいですね。そこに幸せを感じるんじゃないでしょうかね。
本当においしい物を長くいただいているほうが、いっぺんにがばがばと口の中に突っ込んだりするよりも美味しいのです。これと一緒ですね。
信仰というものは、いっぺんに飲み込むものじゃなく、また、飲めるものではありません。』
皆様、どうぞ末永く九頭竜大社にお参りください。