2016年01月25日
空は快晴
昨日、1月24日に、初感謝祭が行われました。
ご存知の方もおられるかと思いますが、九頭竜大社は毎月24日がお祭の日。24日は午後2時から30分ほどのお祭のあとに、神職より特別護符とご神酒をお授けいたします。(4月だけは正午からの祭典開始となります)
昨日は本当に寒かったです・・・
寒気の影響で風もつよく、とても寒い・・・

テレビのニュースでは、西日本は強い寒気が入り込んでくる、おそらく雪が降るでしょう、あまり用事がないようでしたら外出は控えてください、というようなことが流れていましたので、「おそらく今回の24日はお参りの方は少ないのではないか」などと思っていたのですがとんでもない。
風がつよく寒かったものの、雪は降らずに空は快晴。
1日を通し大変多くの方々にお参りいただき、駐車場もほぼ満車。
午後2時の祭典には100名ほどの方々にご参列いただきました。
日曜日だということもあったかとは思いますが、本当に多くの方々にお参りいただき有り難い限りでした。
今朝も冷え込み、うっすらと雪化粧。

雪が降り続けることはなく、本日も空は快晴。
道が凍結することもなく昼には雪も溶けました。

今日も多くの方々が本殿を9回まわってお参りをなさっておられます。
身が引き締まる寒さのなか、真剣に九頭竜弁財天大神様にお祈りされています。
皆様方のお参りをお待ち申し上げております。
2016年01月22日
八方塞がり除けのお祓い
冷え込んで参りました・・・

先日はご覧の通りの雪化粧。
このような日にも八方塞がり除けのお祓いをお受けにお参りなさった方がおられました。
その方がおっしゃるに、九頭竜大社のホームページを見て初めて、9年に1回巡ってくる八方塞がりの年があることをお知りになったとのこと。
少し気にとめる程度にしていたのだが、数え37歳(昭和55年生まれ)となる今年平成28年になってから、結構しんどいことが続く・・・
具体的には、仕事でいろいろとこなさなければならないことが増え、今までの顧客さまにご迷惑をかけることが今年に入ってから増えてしまった・・・ 少し課題のようなことが噴出してしまっている感じだ・・・ やはり昔から言い伝えられていることには意味があるんだなあ・・
そんな風に感じてお祓いを受けに来られたそうです。
九頭竜弁財天大神様のお導きにより、災い・厄が取り除かれよい方向に向かわれますよう、お祈り申し上げております。
実際、この方のように何かをお感じになってお祓いをお受けになる方は多くおられます。
昨日私は、午前中、神社の外でこなさなければならない仕事があったのですが、神社に戻るなり、八方塞がり除けのお祓いが3~4件続けざまにございました。
これから、八方塞がり除け・厄除けのお祓いが多くなってきそうです。

お参りをお待ち申し上げております。
http://www.kuzuryutaisha.or.jp/pray/index.html
2016年01月17日
心は持ちよう
先日街中でこんな女性を見かけました。
どうもその女性はある施設に用があり、そこの駐車場を利用されたみたいでした。
その方は、その施設を利用すればそこの駐車料金は無料になると思っていたらしいです。ところが、無料になるのは親族の場合車1台分だけとのこと・・・親族で車2台で来ていたので1台分は無料にならない。しかも駐車料金は3,600円もする。そんなバカなことがあるかと随分おかんむりのようでした。いつまでもいつまでもそのことばかりにこだわっておられるようでした。
「施設を利用しているのだから無料にしてよ。大体あなた達の説明が分かりにくいのよ。しかも駐車料金が3,600円て何?なんでそんなに高いのよ。」
まあ、私も施設を利用していて数時間で駐車料金が3,600円は高いと思いますし、説明看板の表記も少し分かりにくかったように思います。
しかし、そこの施設はどういう事情があるのか分かりませんがそういうルールでやっておられるのです。事前にもう少し分かりやすい説明があってもよかったとは思いますが、いまさらもう仕方がないと思います。
どういう施設だったかはここで触れるのは控えますが、その女性は、おそらくは人生の中でも大変心にのこるような素晴らしい体験をなさったばかりだったように思えるのです。なのに、その駐車料金の件1つだけをとって、「この施設はよくない。なんで私はこんな所を利用したのか。」といつまでも不機嫌。そこの施設の人達に大変お世話になり素晴らしい体験をなさったばかりなのに、駐車料金のことだけで損をしたといつまでも不機嫌。
私はその様子を見ていて「この人はもったいない心の持ち方をする人だな。」と心底思いました。
申し訳ありません。失礼だったかもしれませんが、心底そう思いました。
人は見かけでは分かりませんが、それほどお金に困っておられるような方には見えませんでした。
その方は駐車料金で損をしたと思っておられるのかもしれませんが、私には、その程度のことでいつまでも不機嫌になることで、本当は楽しい、宝物のような時間を暗くしてしまうという人生の大損をしておられるように思えました。
心は持ちようだと思います。
「施設を利用したら駐車料は無料だと理解していたけれども、親族なら1台分だけなのか・・・もう少し分かりやすい説明がほしいよな・・・3,600円高いなー それだったら近くの100円パーキングにとめたのにな・・ まあ仕方がないな・・ ここの施設の人にはお世話になっているしな・・まあ今日はいいことがあったし、また次から気をつけたらいいか。」
たぶん私だったらこんな感じだと思います。
おそらく私よりも、もっと人間が出来た人ならこんなにいろいろなことは考えずに
「何だそうだったのかー 高いなー まあ仕方ないな 次は他の方法を考えよう」
とこんな風にさらっと受け流して、その日体験した素晴らしい体験のことで大満足なんだと思います。
幸せな人、不幸せな人を分けるのは、持っているお金の多寡でもなく、頭の良し悪しでもなく、心の持ち方なのではないかと私は思うのです。
「心は持ちよう」そのように思います。
こんな風に偉そうに綴って参りましたが、私自身もまだまだなのでございます。
と申しますのは、九頭竜大社の教えの中には
「日々の暮らしのなかでいやなことを見聞きしても心まで毒されることなくさらさらと受け流してゆきましょう。」
というものがあるのですね。
私はこの女性の様子を見ながらイライラしてしまっていました。
さらさらと受け流すことが出来ていなかったのですね・・・
だから私の『心の器づくり』はまだまだなのでございます。一生続けていかなければならないものだと思うのです。
「心は持ちよう」
今回もご覧くださりありがとうございました。
どうもその女性はある施設に用があり、そこの駐車場を利用されたみたいでした。
その方は、その施設を利用すればそこの駐車料金は無料になると思っていたらしいです。ところが、無料になるのは親族の場合車1台分だけとのこと・・・親族で車2台で来ていたので1台分は無料にならない。しかも駐車料金は3,600円もする。そんなバカなことがあるかと随分おかんむりのようでした。いつまでもいつまでもそのことばかりにこだわっておられるようでした。
「施設を利用しているのだから無料にしてよ。大体あなた達の説明が分かりにくいのよ。しかも駐車料金が3,600円て何?なんでそんなに高いのよ。」
まあ、私も施設を利用していて数時間で駐車料金が3,600円は高いと思いますし、説明看板の表記も少し分かりにくかったように思います。
しかし、そこの施設はどういう事情があるのか分かりませんがそういうルールでやっておられるのです。事前にもう少し分かりやすい説明があってもよかったとは思いますが、いまさらもう仕方がないと思います。
どういう施設だったかはここで触れるのは控えますが、その女性は、おそらくは人生の中でも大変心にのこるような素晴らしい体験をなさったばかりだったように思えるのです。なのに、その駐車料金の件1つだけをとって、「この施設はよくない。なんで私はこんな所を利用したのか。」といつまでも不機嫌。そこの施設の人達に大変お世話になり素晴らしい体験をなさったばかりなのに、駐車料金のことだけで損をしたといつまでも不機嫌。
私はその様子を見ていて「この人はもったいない心の持ち方をする人だな。」と心底思いました。
申し訳ありません。失礼だったかもしれませんが、心底そう思いました。
人は見かけでは分かりませんが、それほどお金に困っておられるような方には見えませんでした。
その方は駐車料金で損をしたと思っておられるのかもしれませんが、私には、その程度のことでいつまでも不機嫌になることで、本当は楽しい、宝物のような時間を暗くしてしまうという人生の大損をしておられるように思えました。
心は持ちようだと思います。
「施設を利用したら駐車料は無料だと理解していたけれども、親族なら1台分だけなのか・・・もう少し分かりやすい説明がほしいよな・・・3,600円高いなー それだったら近くの100円パーキングにとめたのにな・・ まあ仕方がないな・・ ここの施設の人にはお世話になっているしな・・まあ今日はいいことがあったし、また次から気をつけたらいいか。」
たぶん私だったらこんな感じだと思います。
おそらく私よりも、もっと人間が出来た人ならこんなにいろいろなことは考えずに
「何だそうだったのかー 高いなー まあ仕方ないな 次は他の方法を考えよう」
とこんな風にさらっと受け流して、その日体験した素晴らしい体験のことで大満足なんだと思います。
幸せな人、不幸せな人を分けるのは、持っているお金の多寡でもなく、頭の良し悪しでもなく、心の持ち方なのではないかと私は思うのです。
「心は持ちよう」そのように思います。
こんな風に偉そうに綴って参りましたが、私自身もまだまだなのでございます。
と申しますのは、九頭竜大社の教えの中には
「日々の暮らしのなかでいやなことを見聞きしても心まで毒されることなくさらさらと受け流してゆきましょう。」
というものがあるのですね。
私はこの女性の様子を見ながらイライラしてしまっていました。
さらさらと受け流すことが出来ていなかったのですね・・・
だから私の『心の器づくり』はまだまだなのでございます。一生続けていかなければならないものだと思うのです。
「心は持ちよう」
今回もご覧くださりありがとうございました。
2016年01月10日
教えの肝要
今年初めてのブログの更新となりました。
九頭竜大社の教えの肝要は
「無理を除く」「自然に帰る」「感謝」
こういったことになります。
無理に頑張らなくてもいい。
「頑張る」は「我を張る」ことにもつながります。
我を張り過ぎず、道理に合わないようなことはしない。
明るく穏やかに、思いやりの心をもって過ごす。これが人として自然な姿。
この自然なあり方に帰ってゆけるようにしましょう。
いやなことを見聞きすることがあっても、心まで毒されることなく、さらさらと受け流してゆきましょう。
自分らしく自然体で日々励みましょう。無理をせずともなるようになります。
頑張りすぎて自分を見失うことなく、感謝の心を忘れない生き方をしましょう。
そうやってゆっくりでいいので、『心の器づくり』をすすめてゆきましょう。
目に見えぬ神に、素直に祈る心を持ちましょう。神様にお導きいただき、幸いに人生を歩みましょう。
九頭竜大社の教えはこのように平易なことばで表現することが出来ます。
厳しい荒行のようなものはありません。
日常生活のなかで、この教えを実践してゆくことが大切なのです。
「無理をしない」「頑張り過ぎない」
これはもちろん、ラクをして逃げ回ることとは全く違います。そこはゆめゆめ間違ってはならないと思います。
「感謝」
我を張って頑張り過ぎていると、目に見えぬ神の導きや無数の人達の支えのお蔭で生かされているという至極当たり前のことを忘れてしまいます。これではいけない・・・
無理をせず、感謝の心を忘れず、人として「自然」な、明るく穏やかな思いやりに満ちた姿に帰ってゆく、教えを日常生活のなかで実践してゆく、それが大切なのです。
本年もさまざまに綴らせていただきたく存じます。
どうぞよろしくお願いいたします。
九頭竜大社の教えの肝要は
「無理を除く」「自然に帰る」「感謝」
こういったことになります。
無理に頑張らなくてもいい。
「頑張る」は「我を張る」ことにもつながります。
我を張り過ぎず、道理に合わないようなことはしない。
明るく穏やかに、思いやりの心をもって過ごす。これが人として自然な姿。
この自然なあり方に帰ってゆけるようにしましょう。
いやなことを見聞きすることがあっても、心まで毒されることなく、さらさらと受け流してゆきましょう。
自分らしく自然体で日々励みましょう。無理をせずともなるようになります。
頑張りすぎて自分を見失うことなく、感謝の心を忘れない生き方をしましょう。
そうやってゆっくりでいいので、『心の器づくり』をすすめてゆきましょう。
目に見えぬ神に、素直に祈る心を持ちましょう。神様にお導きいただき、幸いに人生を歩みましょう。
九頭竜大社の教えはこのように平易なことばで表現することが出来ます。
厳しい荒行のようなものはありません。
日常生活のなかで、この教えを実践してゆくことが大切なのです。
「無理をしない」「頑張り過ぎない」
これはもちろん、ラクをして逃げ回ることとは全く違います。そこはゆめゆめ間違ってはならないと思います。
「感謝」
我を張って頑張り過ぎていると、目に見えぬ神の導きや無数の人達の支えのお蔭で生かされているという至極当たり前のことを忘れてしまいます。これではいけない・・・
無理をせず、感謝の心を忘れず、人として「自然」な、明るく穏やかな思いやりに満ちた姿に帰ってゆく、教えを日常生活のなかで実践してゆく、それが大切なのです。
本年もさまざまに綴らせていただきたく存じます。
どうぞよろしくお願いいたします。