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Posted by 京つう運営事務局  at 

2014年09月29日

神の導きを思う

例え話です。


大変指導熱心で部下思いの部長さんがいたとします。その部下に、完全に怠け癖、逃げ癖がついてしまっているどうしようもない社員がいたとします。暖かい心を持たれた、部下思いの部長さんであれば、「ああ、あんな社員はもう駄目だ。もういつ辞めてもいいや。放っておけ。」というような対応はなさらないのではないかと思うのです。
「何をやっているの!もっとしっかり仕事に取り組まなければ駄目じゃないか!」と注意をし、何とか気づいてほしい、いい方向に向かってほしいと、何度も何度も根気よく指導をなさるのではないでしょうか?


このような部長さんの部下に、何でも根を詰めて頑張りすぎてしまう、一生懸命になりすぎてしまう社員がいたとします。そのような部下に対しては、「そんなに無理をしなくてもいいんだよ。ちょっと肩の力を抜いたほうがいいよ。あんまり根を詰めすぎてしまうと、大事なことを見落としてしまうことにもなるよ。」と、時にはこんな風に声をかけることもあるのではないでしょうか?


神様は、はるか高い高い境地から人生をお導きくださるのですから、そのお心を私たち人間が測り知ることは不可能です。
上記は、あくまで例え話です。


勿論、神様が直接、「そんなことでは駄目だよ」とか、「今はそんなに無理をすることはないよ」とか、おっしゃるわけではありません。しかし、必ず、何らかの出来事を通して、何か大切なことに気づかせようとなさいます。私たちは、その神様のお導きに気づかなければならないのではないかと思います。


例え話のように、いくら部長さんがよくなるように、いい方向に向かうように指導をしてくださっていても、部下の社員が素直にならないで聞く耳をもたなければ、なかなか事態は好転しないように思います。


何かいつもと違う変化がおきたときには、少し立ち止まり、自身をチェックしてみられては如何でしょうか?
周りへの「感謝」の心を忘れていないかどうか。「自然」に逆らった無理な生き方、考え方をしていないかどうか。


九頭竜弁財天大神様は、人生を幸いにお導きくださる慈悲の女神様です。
長い目で見れば必ず良い方向にすすむようにお導きくださいます。


今回もご覧くださりありがとうございました。

















  


Posted by 九頭竜大社  at 08:32Comments(0)

2014年09月22日

神仏の物差し

人を「違い」でみるのが神仏の物差し
人を「優劣」でみるのが人間の物差し

このようなことがよく言われますが、本当にその通りだと思います。


九頭竜大社では社務所で金魚を飼っています。
もちろんエサをやるわけなのですが、要領よくエサにありつく金魚もいれば、表現はすこし悪いですが、どんくさい金魚もいます。

だからといって私たちは、この金魚は賢くて優れている、この金魚はどんくさいから劣っているなどとはみないのが普通ではないですか?
個性の違いがあっても金魚は金魚なのではないですか?
むしろどんくさい金魚のほうが気になったり、かわいく思えたりしませんか?


すこしたとえがよくなかったかもしれませんが、神仏が私たち人間を見る目もこのようなものではないかと思うのです。


人よりも優れていなければ救われない、人よりも努力をしなければ幸せになれない
そんなことは、絶っっっ対にありません!!!
この部分は強調させていただきたいと思います。


人は今を大切にし、無理をすることなく、自分らしく生きてこそ幸せになれるのだと思います。
周りの人を見ていても、無理にがつがつと努力している人よりも、無理なく自分らしく生きている人のほうが感じがよくありませんか?


無理をすることなく、自分らしく生きる、周りへの感謝の気持ちを忘れない、そんな生き方が『心の器づくり』になり、幸いへの道となるのではないかと思います。


本日もご覧くださりありがとうございました。
  


Posted by 九頭竜大社  at 08:43Comments(0)

2014年09月15日

才能のあるなし

「才能のあるなし」は、なかなか触れるのが難しいテーマです。
ただ、「才能のあるなし」は紛れもなく存在しますし、自分の才能のなさを嘆き、苦しまれている方々はとても多いように思います。
たくさんの習い事をしたけれどもなかなかモノにならなかった、そういう思いをされている方々も多いのではないでしょうか。


自分がかなり努力しても出来ないことを、才能がある人はすいすいとやってのけてしまう、そんなこともあるように思います。
自分自身があまり関心のない分野でのことならばあまり悔しさもないでしょうが、熱心に取り組んでいることでそのようなことが起きれば、内心穏やかではないように思います。
また、自分自身はあまり気にしないでおこうと思っていても、周囲の人や身近な人がやいやいと気になることを言ってくる、それで心を乱してしまう、そんなこともよくあるのではないでしょうか。


では、どのように考えればよいのか?どうすれば心穏やかでいられるのか?
正直、これはよく分からないです。このような時に面白くない感情になることは、ごく自然なことではないかとさえ思います。
このような思いをすることは長い目で見て自身の成長につながることもあるかと思いますし、自分らしく生きていくための何か大切な気づきにつながるのではないかとも思います。


ただ、九頭竜大社の祭典で奏上する「天地清浄の祝詞」の中に、次のような一節がございます。

『意(こころ)に諸々の不浄を思ひて、心に種種(くさぐさ)の不浄を想(おも)はず』

日常のなかで面白くない思いをすることがあっても、決して心の奥深くまで毒されてしまうことがあってはなりませんよ。いつまでも気にとどめず、さらさらと受け流していかなければなりませんよ、とこの一節を理解したいと思います。


私たちは、無数の御縁によっていただいたこの人生を、自分らしく生きていくことによってしか、幸せにはなれないのではないかと思うのです。
様々に紆余曲折があったとしても、自分自身を受け入れ、自分らしく生きることが幸せにつながるのではないでしょうか。


九頭竜弁財天大神様は、人生を幸いにお導きくださる慈悲の女神様です。自分自身を受け入れ、自分らしく生きていくには、厳しい過程を経なければならないことも多いと思いますが、九頭竜弁財天大神様は、必ずや良い方向、幸いな方向に人生をお導きくださいます。


お参りをお待ち申し上げております。


今回もご覧くださりありがとうございました。



















  


Posted by 九頭竜大社  at 08:49Comments(0)

2014年09月08日

お祭の日

九頭竜大社は毎月24日がお祭の日です。
九頭竜弁財天大神様は、今から丁度60年前の昭和29年11月24日に御発祥となりました。
その翌年の昭和30年11月24日にお祭が行われて以来、毎月24日にお祭を行っています。
毎月24日には多くの方々がお参りになり、九頭竜弁財天大神様に感謝の心を捧げられるのです。


24日が九頭竜大社の祭典日、そのようにご記憶いただきますれば幸いです。


毎月24日のほかにもお祭の日があります。

1月1日午前0時からの歳旦祭並びに元旦祭、2月3日の節分祭、そして明日、9月9日午前10時より、健康長寿祈願祭が行われます。
そのようなわけで、今はその祭典準備に追われております。


9月9日は古来より、菊酒をいただき健康長寿を祈る日です。また、本殿を9回まわるお千度が伝わるなど「9」は九頭竜大社にとって要となる数字です。このような縁のある日に、健康長寿を御祈願申し上げる大変意義深いお祭となります。


九頭竜大社のお祭について、詳細は公式HPをご参照願います。


お祭の日は境内が賑わい、大神様のお力がより一層発揚されることと存じます。
お参りを心よりお待ち申し上げております。


今回もご覧くださりありがとうございました。


九頭竜大社の行事については公式ホームページでもご紹介していますので、ご興味のある方はご覧ください。   


Posted by 九頭竜大社  at 08:25Comments(0)

2014年09月01日

気持ちの切り替え

気持ちの切り替えはとても大切だと思います。
自身のことでまことに恐縮なのですが、私はこの気持ちの切り替えが下手でとても困っております。いやな出来事を長く引きずってしまうことがよくあります。このようなことは全くもって損なことだと思うのですが、なかなかこの気持ちの切り替えがうまくできないことが多いです。


では、どうすればよいのか?どのように考えればよいのか?
皆様方ならどのようになさいますか??


私なりに考えるのは、まず適度に体を動かすこと。
やはり運動不足になってくると、気持ちがもやもやしてしまうように思います。ですから体を動かすようにします。

美味しいものを食べること。絶対に気分が変わります。

そして、仕事から離れてまったく違う世界に触れてみること。自分の分野とは全く違う分野のことに触れてみること。頭が切り替わります。


いやなこと、取るに足らないことは忘れてしまわなくては損だと思います。
あまりもやもやした気持ちのままでお参りするのもいかがなものかと思いますし、このような気持ちのまま生活をしても『心の器づくり』はなかなか進まないように思います。


今回もご覧くださりありがとうございました。


  


Posted by 九頭竜大社  at 08:42Comments(0)