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2014年04月10日

人生にはどこかにおちがある

皆様方お一人お一人さまざまなお気持ちをもってこの新年度をお迎えのことと存じます。

九頭竜大社開祖大西正治朗は、生前、次のように申しておりました。


どうしてもこういうことがやりたいと、そんなことが世の中にたくさんあるのですよ。信仰をしているとその執着に捕らわれなくなります。こらもう神様がやめとけと仰っているんだから無理して行くことは無いんじゃないかと。そりゃ行きたいことは行きたいけれども無理せんでいいぞと。行けたら幸せだし、行けなかったらちゃんと神様がなんかおちがあるんだとこういう風に。人間というものは執着というものに捕らわれ過ぎておりますとね、そこに人間は不幸を招きます。

『開祖先生 御親話会集』九頭竜大社発行40頁より引用


世の中でいう「いい学校」「いい会社」「いいところ」にどうしても行きたいと思う。もちろんその通りに希望が叶えばそれは素晴らしいことです。しかし、もしその希望通りには叶わなかったとしても、なにもそれにこだわって無理をしなくてもいいのですよ。希望通りに世の中でいう「いい学校」「いいところ」に行けなかったとしても、そのことで劣等感を持ったり、心を曇らせたりする必要はないのです。九頭竜弁財天大神様を信仰し『心の器づくり』をすすめていけば、「いいところ」に必ず行かなければならないというような執着に捕らわれなくなります。九頭竜弁財天大神様は必ず幸いな方向に守りお導きくださいます。心を曇らせることなく、前向きに努力し、『心の器づくり』を一歩一歩すすめてゆけば、必ずやあなたにとってふさわしい場所にお導きくださいます。人生には何かそういうおちがあるのです。と、私自身はこのように理解し、心の支えにいたしております。


今回もご覧くださりまことに有難うございました。



Posted by 九頭竜大社  at 09:03 │Comments(0)

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