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2014年03月31日

神の導きとは

九頭竜弁財天大神様は、諸々の災いごとや厄を取り除き幸いにお導きくださる慈悲の女神様です。
今回は、神様が「幸いにお導きになる」ということについて綴らせていただきたく存じます。


人生にはつらいことがたくさんございます。
人間関係の軋轢で苦しんだとき。たとえば会社でどうにも相性の悪い上司のもとで働かなければならないとき。関係を悪化させてしまえば大変な苦しみとなりますし、悶々とした日々を送らなければならないようになるのではないかと思います。

このようなときに九頭竜弁財天大神様に「〇〇さんが大嫌いで〇〇さんがいたら充実した仕事が出来ないから、〇〇さんと離れられるようにしてください」とお願いしたとしましょう。果たしてその願いが叶ってゆくのか。私自身の経験では、このような感じで神様にお願いをして、お願いの通りにすぐに叶ったなどということは、ただの一度もございません。


苦しいときには心に余裕がなくなり、すぐにその苦しみから解放されたいと思う気持ちは、私にも痛いほどよく分かります。しかし、苦しみからすぐに解放されることが果たしてその人の幸せにつながるのかどうか。


先ほどの例のように、何か人間関係で問題が出てくるということは、目に見えない神様の世界からのサインだと思うのです。起こってしまった問題、出来事、苦しみを通して何かに気付かなければならないのではないかと思います。「自分の考え方、視点には何が欠けていたのか」「今後はどのような心の持ち方をすればよいのか」さまざまに考え、そこで何かをつかみ、自身の『心の器づくり』をしてゆかなければならないのではないかと思うのです。目の前の問題に向き合わず、苦しみを避けて逃げまわっても、『心の器づくり』は進まず、また同じような問題に直面しなければならないときがきます。


九頭竜弁財天大神様は、私たち人間には想像もできないような高い見地から、幸いな方向に守りお導きくださいます。厳しい、しかし本当にお優しい慈悲の女神様です。時には苦しいときにお願いをしてもすぐには叶わないときもあろうかと存じます。しかし、神様は必ず守り導いてくださっています。謙虚な気持ちで、焦らずに、一歩一歩「心の器」を大きくしてゆくと、本当に思いもかけなかった意外なところから道が開けてゆくものなのです。



今回もご覧いただきまことにありがとうございました。


  


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2014年03月27日

人にやさしくするには

「人にやさしくしましょう」「思いやりの心をもって人に接しましょう」ということは古今東西よくいわれることだと思います。


九頭竜大社の教えにも「人は衆人愛語慈悲でなければならない」とあります。人は本来、わけへだてなくよい言葉を用い、慈しみや思いやりの心をもって周りに接しなければならない、それが『心の器づくり』になり、九頭竜弁財天大神様からのお恵みもたくさんいただけるようになり、より一層幸いにお導きいただけるようになる、そういう教えです。


ただ、この「人にやさしくする」ということはなかなか一筋縄にはいかないように思います。


なかなかうまくことが運ばず悶々とした日々を送っておられる浪人生の方が、一流大学に入学し充実した学生生活を送っている(あるいはそのように見える)学生さんに対しやさしくできるのかどうか。
かつて結婚生活で失敗し、そのことをずっと引きずって生きている方が、いかにも幸せそうな新婚夫婦に対してやさしくできるのかどうか。
はっきり申し上げて、それは無理な話なのではないかと思います。


人は、何か、その人が乗り越えるべき試練を乗り越えて、『心の器づくり』がすすんでいったときに、「心の器」が大きくなっていったときにはじめて人にやさしく出来るのではないか、最近そのように感じております。


以前このブログで、スキージャンプの葛西紀明選手のことについて触れさせていただきました。
葛西選手は、ソチ五輪団体戦で銅メダルを獲得したときに、個人戦で銀メダルを獲得したときには見せなかった涙を流し、インタビューに答え、概ね次のような内容のことを語っていたやに記憶いたしております。
「本当に嬉しいです。みんなけがをしたり調子を落としたりしていたのにメンバーに選ばれてよかった。後輩たちにメダルを取らせてやりたかった。」


有名な話ですが、葛西選手は、劇的な展開で金メダルを獲得した長野五輪の日本チームのメンバーに入ることが出来ませんでした。
アンカーの船木和喜選手が金メダルを決めるジャンプを飛んだとき、ジャンプ台の下から見上げていた葛西選手は、「落ちろ!」と念じたそうです。長野五輪終了後も自分だけが蚊帳の外。嫉妬で心がゆがんだそうです。


それから16年。長い時を経て、試練を乗り越えた葛西選手の言葉は、本当にやさしさにあふれたものでした。


今、何か大きな試練に直面され、心に余裕がなく、とても人にやさしくなんて出来ないとお感じの方もおられるかと存じますが、どうか安心なさって九頭竜弁財天大神様におすがりいただければと存じます。
九頭竜弁財天大神様は人の「目に見えぬあざ」を取り除いてくださる慈悲の女神様なのです。多少時間がかかろうとも、必ずよい方向にお導きくださいます。
そして、時間をかけて『心の器づくり』をすすめていったときに、人に対するやさしさがにじみ出てくるのではないかと思います。


今回もご覧くださりまことにありがとうございました。





  


Posted by 九頭竜大社  at 08:55Comments(0)

2014年03月24日

24日のお祭り

九頭竜大社は毎月24日がお祭りの日です。
九頭竜弁財天大神様に感謝の心をささげる感謝祭です。


昭和29年11月24日、九頭竜弁財天大神様が開祖大西正治朗の夢枕に立たれ、「汝の身を社にする。千人万人無限に人を救う。奇蹟を以て即座に守護をあたえる。神は人を救って神界に上る。」との御神託をお授けになり、京都八瀬の地に降臨されました。この昭和29年11月24日が九頭竜大社御発祥の日です。


翌昭和30年11月24日には開眼一周年記念感謝祭が斎行され、以来今日に至るまで、毎月24日に感謝祭が執り行われております。


本ブログを書かせていただいております3月24日は、午後2時から弥生感謝祭が行われます。天候にも恵まれ、多くの方々がお参りになっておられます。


本日は終日境内が賑わいそうです。


今回もご覧くださりまことにありがとうございました。  


Posted by 九頭竜大社  at 10:59Comments(0)

2014年03月20日

人間関係に悩んだときに

この世の様々な悩みの中でも、人間関係の軋轢からくるものはとても多いように思います。
どうにも考え方が合わない、なぜ分かってもらえないのだろうと悩み、ときには喧嘩にまで発展してしまうこともあろうかと思います。


どちらが言っていること、行っていることがまっとうなのか、筋違いなのかはともかく、喧嘩をしてしまったり、そのことでいつまでも心を煩わせているということは、所詮は相手と同じ土俵に立っている、相手と同じくらいの「心の器」の大きさなのではないかと思うのです。


成熟した大人が、小さな子供がおいたをした程度のことで本気で怒ったり、いつまでもそのことを心にとどめて悶々としたりすることなどはないように思います。これと同じように、自分の「心の器」が相手よりも遥かに大きいものであれば、そうそう腹を立てたり、いつまでも引きずって心を煩わせたりということはないのではないかと思います。


ですから、目の前におこってくる人間関係の悩みは、自身の「心の器」の大きさに応じたものなのではないかと思うのです。神様がその出来事を通して、「自身のものの考え方に偏りがないか」「自分の視点に足りないものがないか」そういった様々なことに気付かせようとなさっているのではないかと思うのです。自分は必ず正しい、絶対に相手がおかしいと思っているだけでは『心の器づくり』はすすまないのではないかと思います。


九頭竜弁財天大神様は実に巧みに人生を幸いにお導きくださる慈悲の女神様です。どうか人間関係で悩みが生じたときには、「九頭竜弁財天大神様は何を気づかせようとなさっているのだろう」「自分には何が足りないのだろう」と、どうか前向きにお考えいただきたく存じます。それが『心の器づくり』になるのです。『心の器づくり』がすすんでゆくと、自然にとらわれからも解き放たれ、人生が幸いに向かってゆくものなのです。


今回もご覧くださりまことにありがとうございました。  


Posted by 九頭竜大社  at 09:52Comments(0)

2014年03月17日

自然に逆らわない生き方

九頭竜大社の教えに「自然に帰れ」というものがございます。自然に帰ってゆきましょう、自然に逆らわない生き方をしましょう、それが『心の器づくり』になり、九頭竜弁財天大神様よりのお恵みをますますいただけるようになる、それが「自然に帰れ」ということです。


「自然に帰れ」というのは言葉でいうのは簡単ですが、そもそもこの「自然」というのは、どのような状態を指すのか?
先日筑波大学名誉教授村上和雄氏の著書『アホは神の望み』を読み返しておりましたら、大変興味深いことが綴られていましたので以下に引用させていただきます。


『アホは神の望み』 村上和雄氏著 サンマーク出版 154頁155頁より

あるいは、人間の体は役割の異なる三百種類以上の細胞からなっていますが、そのそれぞれ異なる機能をもつ細胞は自分独自の働きをしながら、しかしそれだけに固執せず、他の細胞を助ける働きもしています。だからこそ、それらの細胞の集合体である一つの臓器の正常な働きが可能になるのです。

中略

なぜ、こんなみごとなことが可能なのか。

中略

少なくとも、こういう部分と全体の調和や助け合う仕組み、自分で活動しながら「他も利する」働きが自然発生的に行われているとは考えにくい。私はそうした「利他的な活動を行え」という情報が遺伝子に書かれているからだと思います。


分子生物学者でいらっしゃる村上和雄氏は以上のように綴っておられます。


つまり、人間はもちろん自分のことを考えて生きるのですが、自分のことばかり考えるのではなく、他を思いやり生かすように、そのように生み出されている、ということではないかと、私なりに理解させていただいております。ですから、「自分の欲ばかりを考えるのではなく、周りを思いやって、他者を生かそうという気持ちで生きる」ことが、人間にとって「自然」な生き方なのではないかと思うのです。


九頭竜大社の教えに「人は衆人愛語、慈悲でなければならない」とあります。「人は本来、わけへだてなくよい言葉を用い、慈しみや思いやりの心をもって周りに接しなければならない」という意味になろうかと存じます。このことが人間にとって自然な生き方であり「自然に帰る」ことになるのではないかと存じます。この「自然に帰る」生き方が、『心の器づくり』になるのです。


もっともこの「自然に帰れ」という教えは、他にもさまざまな表現の仕方が出来るかと思います。今回は九頭竜大社の教え「自然に帰れ」を考える一つの切り口として綴らせていただきました。


今回もご覧くださりまことにありがとうございました。

  


Posted by 九頭竜大社  at 10:52Comments(0)

2014年03月13日

願いが叶ったら

九頭竜大社は、熱心にお祈りされる方々が多く訪れるお社です。
悩みから救ってください、願いを叶えてくださいと、それはそれは熱心にお祈りをなさいます。


九頭竜弁財天大神様は、慈悲の女神様でいらっしゃいますから、本当に苦しいときには、災いごとを取り除き、幸いにお導きくださるのです。


このように悩みから抜け出してゆくことができた、願いが叶ったということはとてもよろこばしいことです。ただ、その後がとても大切なのではないかと思うのです。


悩みから抜け出してゆくことができたあと、強い願いごとが叶ったあと、あまりお参りに来られなくなる方もおいでになります。また、「あと、このようになれば最高なのに」と、されに強く別のことを願われる方もおいでになります。時には、「こんなに一生懸命お参りしているのに願いが叶わない」と愚痴をこぼされる方もおいでになります。以前とても苦しかったときに、九頭竜弁財天大神様がお救いくださったことはもうお忘れになってしまわれたのかなと感じてしまうときもあります。


自戒を込めて申し上げるのですが、やはり、このような神様に対する心がけでは駄目だと思うのです。


神様からお蔭をいただいたあとには、「感謝の心」をささげなければならないのではないかと思います。これは、当然といえば当然なのですが、神様は「あなた、その態度はおかしいでしょう?」などとはおっしゃらないですから、私たちは忘れがちになってしまいます。この「感謝の心」こそが『心の器づくり』にとって最も重要なことなのです。


九頭竜大社では、日常のなかでも「感謝の心」をもって生活し、ゆっくりと『心の器づくり』をすすめてゆくことを大切にしています。実際にはさまざまなことがおこる日常生活のなかで「感謝の心」をもって生活することはとても難しいことです。だからこそ長い時間をかけて、それこそ生涯『心の器づくり』をすすめてゆくのです。まして、日常をはなれた神様の前で、しかもお蔭をいただいたあとで「感謝の心」を持つことができなければ、『心の器づくり』はおぼつかないものになってしまうのではないかと思います。


自戒の念も込めて綴らせていただきました。


今回もご覧くださりありがとうございました。






  


Posted by 九頭竜大社  at 10:49Comments(0)

2014年03月10日

『ごちそうさん』を見て思う

先週末の朝、BSプレミアムでNHKの連続テレビ小説『ごちそうさん』を拝見いたしておりましたら、大変印象にのこる場面がございました。


時は戦時中。主人公のめ以子のもとにわが子の戦死の報が届きます。わが子を失ったという苦しみ。とても文章などでは表現できない苦しみだと思います。茫然自失のめ以子は一晩中森の中をさまよい歩き、村人に助けられ家に帰ってきます。


家に帰ってきため以子に義姉(だったと思います。不正確でしたら申し訳ありません。)がかけた言葉。


「あんさん一言だけ言っておきますけどな、わが子が死んだという苦しみは、一年やそこら泣き明かしたかてどうにもなりまへんえ。十年、二十年、ときには一生付き合っていかなあきまへん。その覚悟を持たなあきまへん。」


この義姉は、何かとめ以子にいけずをする、物語のなかでも強烈な個性をもった存在として描かれています。しかしこの義姉も、かつてわが子を事故で失い、嫁ぎ先を追われるというあまりににつらい過去を持っています。心がゆがんでしまう義姉の姿も物語のなかで描かれていたやに記憶いたしております。


その義姉の言葉。私には大変印象に残りました。


悩みが深い方、心に余裕を失っておられる方は、すぐに苦しみから抜け出したい、すぐに願いが叶うといいと考えがちになるのではないかと思います。しかし、実際は、長い時間をかけて苦しみから抜け出していったり、願い事が叶っていったりするものだと思うのです。九頭竜大社の『心の器づくり』も長い時間をかけて、それこそ生涯行っていくものでございます。


ですから、九頭竜弁財天大神様に心をこめてお祈りされるときも、どうか「すぐに」とお考えにならずに、長い時間がかかっていくものだというお気持ちでお祈りをいただければと存じます。九頭竜弁財天大神様は、ときには長い時間がかかることがあろうとも、必ずその人にとってよい方向に、幸いに人生をお導きくださいます。


今回はここまでにさせていただきたく存じます。
なお、今回紹介させていただいた『ごちそうさん』の場面やせりふは、なにぶん、一度拝見しただけでしたので、やや不正確なところがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。


今回もご覧くださりありがとうございました。





  


Posted by 九頭竜大社  at 10:39Comments(0)

2014年03月07日

過去にこだわりすぎない

過去の自分の失敗を引きずっている、過去に誰かからされたことを水に流せないでいる、そのうい方々にとって、「過去にこだわりすぎない」「過去の自分を受け入れる」「人を許す」ということは、とても大事なことだと思います。
この「過去にこだわりすぎない」「過去の自分を受け入れる」「人を許す」ということについては、心理学やカウンセラーの先生方が、ネットやさまざまな書籍等で述べておられます。ですから、ここで詳しく触れるのは少し控えさせていただきたく存じます。


ただ、自分自身のことであれ、他人からされたことであれ、過去にこだわって苦しみを作り出しているのは他ならぬ自分であるのですから、その「こだわり」を捨てていかない限り「心の器」は大きくなっていかないのではないかとは感じております。


この「こだわり」を捨てるには、大変長い時間がかかります。かくいう私も、このようなことを綴ってはおりますが、なかなかこの「こだわり」を捨てきれず、苦しみを作り出してしまっていることが多いように感じております。焦らず、時間をかけて、少しずつ、この「こだわり」を捨て、ゆっくりと『心の器づくり』をすすめてゆこうと考えております。


時には、この「こだわり」の泥沼にはまってしまったり、心がゆがんでしまったりということもあろうかと思います。心が闇につつまれてしまうようなときもあろうかと思います。そのようなときはどうか九頭竜弁財天大神様におすがりいただきたく存じます。


九頭竜弁財天大神様は「千人万人無限に人を救う」との願いを持たれた慈悲の女神様でいらっしゃいますから、このような苦しいときに、心が闇で包まれてしまったときに、必ず一筋の光となってお導きくださり、お救いくださいます。私自身、何度も何度もお救いいただきました。


今回はここまでにさせていただきたく存じます。
寒の戻りとなっております。皆様、どうぞご自愛ください。


今回もご覧いただきありがとうございました。




  


Posted by 九頭竜大社  at 09:40Comments(0)

2014年03月06日

ルフィの性格

「ルフィ」というのは人気漫画『ワンピース』の主人公の名前です。
『ワンピース』はとても面白い漫画ですから時々は拝見いたします。


『ワンピース』はいわゆる少年漫画ですから、ライバルや敵役が出て参ります。ときには、「この人はどうしようもない人だな」と思うようなキャラクターも登場します。「どうしようもない人だな」と思うような敵役は、やはり結局は主人公のルフィに敗れていくことが多いのです。しかし、このような敵役が、自分を見つめなおし、努力して立ち直ってゆくのです。長い時を経て、ルフィの前に、以前とは比べものにならないくらい成長した姿で現れるのです。


このようなかつての敵役と再会したときのルフィの態度がとてもいいのです。再会したばかりのときは、「お前、あのときは!」などと気色ばむこともありますが、基本的にルフィは相手の過去にこだわっていないように思えます。少なくともいつまでも相手を責めつづけるようなことはありません。そればかりか、かつての敵役がピンチに陥ったときに「おい、頑張れ!」などと応援したりなどいたします。


もちろんこれは漫画の世界のはなしではありますが、ルフィは、「心の器」が大きい人物だと思うのです。物語のなかでもやはり人望が厚く、よい仲間に恵まれ、時にはかつての敵役も味方につけたりしています。


この「過去にこだわりすぎない」ということも九頭竜大社の『心の器づくり』にとって必要なことです。自分の過去にも、相手の過去にもあまりこだわりすぎないほうがよいのではないかと思うのです。


ご自身の過去の失敗、つらい思い出をいつまでも引きずっておられる方々は少なくないように思います。また、他人から何かをされたことをいつまでも引きずっておられる方々も少なくないでしょう。これはとてもつらいことです。
自分自身のことにしても、相手のことにしても、「過去にこだわりずぎない」ということはとても難しいことだと思います。意識をして、じっくり時間をかけて行うものです。なかなかすぐにルフィのようにはできないと思います。


「過去にこだわりすぎない」
次回もこのことについてふれさせていただきたく考えております。


今回もご覧いただきありがとうございました。  


Posted by 九頭竜大社  at 10:07Comments(0)

2014年03月03日

桑田真澄元投手の心の持ち方

最近元プロ野球投手桑田真澄氏の著書を読み返しました。
九頭竜大社の教え『心の器づくり』に通じるようなことが綴られていましたのでご紹介いたします。


以下『試練が人を磨く』 桑田真澄氏著 扶桑社文庫 よりの引用です。

22頁より
たとえば僕は、『大物とは、金持ちでも有名な人でも、名誉がある人でもない。人間力の素晴らしい人だ』と考える。そういう人間の基準というか評価を考えるときの、ひとつの重要な尺度なのだ。
要するに人間力というのは、すべてのことにありがたいと思える心を持ち、いつも毅然とした態度で、常に気持ちが大きく、何ともいえない大きさを感じさせる人間に、備わっているもの。そんなイメージ、わかってもらえるだろうか。

56頁より
チームが連敗中で、僕も負ける。「申し訳ない」とか「悔しい」という気持ちはもちろんある。でも同時にもうひとつの気持ち、思いも持っている。
「自分のピッチングは良かったじゃないか。とくにあの場面はよかった。今回は負けたけれど、よしッ、この負けはきっと将来のプラスになる」と、いつもそういう考えを持っているのだ。プラス思考ということなのだろう。
こんなことを言うと、バカにされるかもしれないけれど、僕は何でも「ありがとうございました」なのだ。常に感謝しながら野球をやっている。


「常に感謝しながら野球をやっている」と桑田真澄氏は綴っておられますが、そこは厳しい勝負の世界。シーズンを通じて心をコントロールし、気持ちを切り替えながら乗り切っていくのは並大抵のことではないと想像いたします。桑田真澄氏は毎日日記をつけておられるそうですが、そのことについて次のように綴っています。


61頁より
嫌なことがあったら、それも日記に書く。そして、日記に書いて終わりなのだ。
だから愚痴は言わない。日記にはたくさん書くけれど、口に出しては言わない。愚痴を言うということは、「ありがたいな」と思えていない証拠だからだ。
たしかに、「バカやろう」と思うことは、いっぱいある。そう日記に書くこともある。たとえば試合に負けて「あいつがエラーをした、バカやろう」と書く。でもそのあとに「あぁ、こういう気持ちじゃいけない。これはありがたいんだ。必ず僕のプラスになるんだ」と書いている。
「バカやろう」と書いて、「あ、この気持ちが試合中に出たんだ。これは僕の気持ちの持ち方のミスであり、僕の人間力の弱さだ。これを克服しないかぎり、僕はまた同じ繰り返しをするだろう。あそこであの選手に向かって、もう一本いくぞ、次のバッターもそこに打たせるから、今度は頼むぞ、そういう大きな気持ちになぜなれなかったのか」そういう反省も書く。


現役時代の桑田真澄氏のプレーはテレビで見ていて、よく記憶いたしております。
マウンド上で帽子を目深にかぶり、投手でありながら、打撃や走塁でも一生懸命な、そんなプレースタイルが印象にのこっています。テレビで見ていても独特の雰囲気を醸し出している選手でした。
その桑田真澄氏が、まさに、九頭竜大社の教え『心の器づくり』に通じるような考え方をもってプレーしていたということは、大変に興味深いことでした。


九頭竜大社の『心の器づくり』にとって最も大切なことは、「感謝の心を持つこと」「愚痴をいわないこと」です。
桑田真澄氏は『人間力を磨く』という表現をされていますが、上記の引用からも、いかに努力をして、日々「感謝の心を持つこと」「愚痴をいわないこと」を実践し、人間力を磨いておられたかが分かります。


桑田真澄氏の日々の実践、心の持ち方が、九頭竜大社の教え『心の器づくり』に通じるところが多いと思い紹介させていただきました。
『心の器づくり』の参考にしていただきますれば幸いに存じます。
  


Posted by 九頭竜大社  at 10:15Comments(0)